トップページへ戻る

歴代将軍から厚い信頼を受けていた安藤公は、江戸の文化にも大きな影響を与えていたものと 思われます。無論国元磐城平の文化にも大きな影響を与えていたことは文献から伺い知ること ができます。明治時代に入リ磐城平藩主であった安藤家十二代信勇公は、平町の旦那衆の茶会 に出席し、その折にカステラが度々賞昧されました。お茶、カステラが庶民の問にも嗜まれる ようになり、この頃からいわきでもカステラが製造され、特にお茶にあうカステラとして独自 の風味が作リだされました。献上カステラは、当時のままの赤ざらめ糖の心地、しっとりと した古風な味わいに、上がり藤の御紋を押し、安藤家初祖良善公忌に供されたカステラを再 現したものでございます。カステラを食する方に歴代安藤公の芸術文化の高徳がいただけ るよう敬意と感謝の念を込め製造させていただいております。


一六世紀頃ポルトガル人により伝えられたカス テラは、もともとは修道院などで作られ、復活祭やクリスマス等の宗教行事、結婚式に食べられて いました。日本に伝承してからは独自の製法により作られ、珍菓子として茶席や慶事等に使われた 特別なお菓子でした。特にこの献上カステラは、安藤家十代信正公による将軍縁組の功績にちなみ 良縁が頂けるよう吉菓子として製造させていただいているものです。安藤家十代信正公は家茂将軍 と皇女和宮様の婚礼をまとめる等、仁徳の高いお殿様でございました。また、井伊直弼公亡き後の 筆頭老中として幕府を支えた傑物であリ、その采配は今も語リ継がれるところであります。


安倍仲麻呂を始祖とする旧磐城平藩主安藤家は、 現在は武家の茶道・香道を継承する宗家で、江戸時代よリは徳川譜代大名として五人の幕閣を 輩出した御家でございます。カステラの製法は、一六世紀ごろポルトガル人により長崎に伝えら れたといいますが、江戸に伝わリましたのは、寛永十六年鎖国令が敷かれた時からでございま す。安藤家二代重長公が鎖国体制の中で長崎から来たオランダ人にカステラの製法を江戸の菓子 職人に伝授させました。鎖国令が敷かれた時オランダのみが平戸港に商館設置を許され、オ ランダ商館員が将軍に御礼のご挨拶に参府した折、幕府の顧問官であった安藤家二代重長公に お世話いただいた等の経緯が東インド会社の記録に残されています。その後安藤家四代信友公 が八代将軍吉宗公及び世子九代家重公にカステラを献上した話がございます。以来大名の茶席 にも珍菓子としてしばしば出されるようになりました。茶席にカステラという粋なはからいは 安藤公に始まるものであリます。


カステラはスペインのカステリア地方のお菓 子ビスコチョに由来すると言われていますが、カステリアとはスペイン語でお城という意昧 です。お城の多い地域であったことからカステリア地方と言われたようです。さて、磐城 平のカステリアはというと、いわき駅北側の物見ヶ岡に秀麗優美な三層隅櫓を配置した お城がありました。一六〇〇年代初頭築城の平城は、宝暦六年(一七五六年)以降の安藤 公時代、本丸御殿には茶室「緑天庵」・「台子の問」、能舞台をしつらえた名城と言われ、 参勤交代の折、仙台藩伊達候がタ日に照らされた平城を遠くに眺め大変美しいと感嘆され た伝えです。戊辰戦争で焼失しましたが、現在は平城の絵図が現存します。


ウィキペディア 磐城平藩
ウィキペディア 安藤信正
ウィキペディア 安藤信勇
下総綜合ken究所 磐城平藩
幕末net 安藤信正・信勇親子の幕末
江戸大名卿net 安藤家
江戸時代大名総覧 安藤家

Copyright (C) Taiheirou, All Rights Reserved.